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「馬王堆漢墓」絹に書かれた文字の話

古代文明のある国や地域では、地中を掘れば、その歴史が蘇ると言われます。発掘や修復に携わる人たちの地道な作業は粛々と続けられ、時に世紀の大発見があります。古代の人たちが残したものを発見し、考察し、歴史の謎を解き、当時の人たちの暮らしや思想、社会を明らかにすることは、ロマンと興奮に満ちているな、なんて、私は書家でなければ考古学者になりたかったな、などと思うほどに憧れます。


さて、中国には、考古学の20世紀最大の発見と言われる遺跡があります。それは、1972〜74年にかけて発掘された、湖南省長沙市芙蓉区にある、「馬王堆漢墓(まおうたいかんぼ)」と呼ばれる遺跡です。これは、紀元前2世紀、前漢時代の長沙国の丞相であった利蒼(?—B.C.186年)とその妻辛追と息子の3つの墓からなります。当時の3000件以上の貴重な文物とともに、まるで最近まで生きていたかのごとく保存状態が極めて良好な辛追夫人のミイラが出土したことで、世界中から注目を集めました。


その中で、私たち書道愛好家にとって、特に注目されるのは、28種の古文献からなる、質量ともに、未だかつてない、大量の「帛書」が発見されたことです。「帛書」とは、文字が書かれた絹のことで、紙が発明され普及するまでは、通常の文書や書籍は、竹簡や木簡、或いは絹の布地に書かれていました。しかし、絹は、当時から高価で希少価値が高く、また保存が難しいため、現存する資料は乏しいものでした。ところが、この馬王堆漢墓の3号墓から、なんと13万字余に及ぶ大量の帛書が発見されたのです。その内容は、戦国時代から前漢初期までの政治・軍事・思想・文化・科学など多岐の分野にわたります。しかも、それらのほとんどは、これまで、原文が伝わっていなかった書物や、全く存在を知られていなかった文献だったのです。(このことからも、馬王堆帛書は、非常に高い学術的価値を持つものと言われています。)


帛書「老子」乙本
帛書「老子」乙本

現在、馬王堆漢墓の出土文物は「湖南省博物館」に展示されています。私は、先の中国旅で訪れたのですが、まったく本物は説得力が違います。しかも、「たった数点の貴重な帛書」、ではなく、「大量の貴重な帛書」が発見されたのだから、圧倒的です。本やネットの情報から知っていた、数点の小さな写真で見る「帛書」とはまるで異なる世界観でした。それは本当に緻密で繊細な美しさ。まるで、「天女の羽衣」に文字が書かれているような不思議な感覚です。


以前、私はシルクオーガンジーに文字を書いて作品発表をしたことがあるのですが、実は、これが私の出世作で、この作品がきっかけで書家になったと言っても過言ではありません。さておき、馬王堆帛書が「天女の羽衣」に書かれたということは、あながち間違いではないかもしれない、と思うのは、馬王堆漢墓から発見された、辛追夫人のシルクの衣服(素紗禅衣)の驚くべきクオリティの高さです。2000年以上前に作られたというのに、完璧な形で残された、見るからに軽やかな透き通るシルクの着物が、たったの48gで、現代の技術を駆使しても作ることが難しいそうです。




素紗禅衣
素紗禅衣

実は、絹は中国が生んだ偉大な発明品の一つで、当時から相当高度に発達し、ローマにも運ばれ黄金と取引されるなど、最も早く西洋世界に影響と衝撃を与えたと言われています。中国が世界に誇る貴重な絹、その貴重な絹が、馬王堆漢墓の様々な埋葬品と共に奇跡的に残り、そこに書かれた文献は、各分野の知られざる当時の知識教養の高さを示して私たちを驚かせ、また、その書かれた文字は、時期によって、小篆(秦の始皇帝が統一した文字)と隷書の中間的な書体(つまり小篆から隷書に移る過渡期の書体)、隷書体で書かれているものがあり、文字の変遷も辿らせてくれます。


そして、これらはもちろん、すべて毛筆で書かれ、筆跡・筆意がはっきり、そのまま、分かるのです。そこには、これまでにご紹介してきた古代文字(甲骨や石碑に刻まれたものや、青銅に鋳込まれた文字)では、窺い知ることができなかった、筆による実際の用筆や運筆などの技法を見ることができ、古代の人の息遣いが、よりリアルに感じられるのです。


帛書「老子」乙本拡大写真
帛書「老子」乙本拡大写真


絹の持つ美しさは、今日でも変わらず、人を魅了する力があります。そこに書かれた文字は、通常よりも魅力が増すのかな、なんて、もしかしたら、その恩恵にあずかって今の私があるのかしら、などと思ったり思わなかったり、険しいながらも美しく、ロマンも興奮も兼ね備えた書の道はまだまだ続いていくようです。


 

(本稿は奈良新聞連載エッセイ「暮らしの中の書」2020年3月12日掲載分)



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