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「西安碑林博物館の墓誌銘」禁碑令受け地中に埋葬

私はこう見えて、(どう見えているかはさておき)学校教育で使われる教科書に高い信頼を寄せています。教科書が時代とともに変遷し、内容が変わっていくことも知っています。その上で、同時代の教科書は、時代の要請と共に、今、最低限知るべき知識で最先端の研究結果がまとめられていると思いたいところです。


ところが、書道というジャンルは“数千年変わらぬ”性質があり、取り上げる古典も決まっていて、少しずつ切り口が変わりますが、基本的に各社の教科書には、学習指導要領に掲げられている内容に沿って、いつも同じような内容が掲載されています。日本の書道学習の進め方は、ある種、合理的と言えます。しっかり体系付けられ、無駄が省かれ、中国では非常に有名で、重要な古典作品や書家であっても、日本では、ほとんど学ばれることがない場合が多々あります。「日本の漢字」「仮名」「現代書」など、「日本的」な書道が加わり、書のオリジナル国である中国とは、少し趣を変えて展開し、学ばれています。その中で、本日は、教科書に掲載されることが少ない、「墓誌銘」についてお話ししたいと思います。


「墓誌銘」とは、死者に対する哀悼の意を表し、その功績や徳行を石板に刻して称えたものです。石碑が地表に立てられたモニュメントであったのに対し、墓誌銘は、死者(墓主)と共に埋葬されます。長い間、土の中にあったため、破損が少なく、文字が完全な状態でみられることが多く、書道好きの間では、小楷を習うのに最適と言われています。また、これら

の文字が刻まれた墓誌銘は、送葬の年月日も明記されていて、当時の記録として非常に高い資料的価値もあり、多くの歴史を伝える重要なものです。


年月日が分かる墓誌銘(任城王妃李氏墓志(501年)・部分)
年月日が分かる墓誌銘(任城王妃李氏墓志(501年)・部分)


ところで、この「墓誌銘」が地中に埋められるようになったのには、理由があり、それは、『三国志』で有名な魏の曹操(155-220年)による質素倹約を奨励するものと言われています。曹操は、当時、豪族の間で流行していた派手な葬式を禁止し、また、個人の功績を称える石碑の建立も禁止しました。それまでの漢代には、多くの石碑が建てられ、現代の私たちは当時の素晴らしい名筆を学び、鑑賞し、歴史を知る、たくさんの恩恵にあずかっていますが、当時は、財政を大きく圧迫するものとして批判されていたそうです。そこで、205年、曹操が「禁碑令」を布き、その後、晋の武帝(236-290年)もこれを禁止した為、三国時代には石碑建立がほとんど見られませんでした。


ところが、今度は、この禁碑令を受けて、地中に「墓誌銘」を埋めるというのですから、人間の所業とは全く面白いものだと思わずにはいられません。やはり、それらは今日、私たちにたくさんの得難い情報を与えてくれます。これが「墓誌銘」の起源と言われていますが、その後の南北朝時代にはこれが盛んに作られるようになります。残念ながら、これらの作者名は知られることがないのですが、装飾的で、墓主それぞれのこだわりが強く感じられる「墓誌蓋」、書としても端正で美しい文字が刻まれた「墓誌銘」は、書道を学ぶ教科書にもっと取り上げられても良い古典だと思うところです。


装飾的な墓誌の蓋(元焕墓志蓋・525年)
装飾的な墓誌の蓋(元焕墓志蓋・525年)


現在、北朝時代の「墓誌銘」は、洛陽で出土されたものが最も多く、この地中に長く埋められていた「墓誌銘」が世に知られることになるのは、千数百年後の20世紀初頭、洛陽の鉄道工事がきっかけで、これらが発見されたそうです。現在、それらの大部分は洛陽博物館に保存されていますが、一部は西安碑林博物館に収蔵されています。その中で、特に有名なものに、于右(うゆうじん(1879-1964年)=政治家・書法家・教育家)コレクションがあります。


西安碑林博物館の壁に埋め込まれた墓誌銘
西安碑林博物館の壁に埋め込まれた墓誌銘


于右といえば、今日、書法家としてよく知られ、数々の名作を世に残していますが、教育家としても書の普及に努め、特に、これまで様々に書かれていた歴代草書の整理や研究に従事し、これを「標準草書」としてまとめる偉業を成し遂げています。そして、政治家としては、辛亥革命で孫文の片腕として活躍した重要人物。その傍らに、これらの「墓誌銘」を収集していたというのですから、まさに偉人です。そして、ついには、これらを個人が持ち続けるべきではないとし、数百件を超える一大コレクションを西安碑林博物館に寄贈した、という経緯があります。


現代はたくさんの情報が溢れかえっています。それらを正しく取捨選択し、上手く活用したいものです。その情報を伝える最前線の文字、私にとっては、その姿かたちに心惹かれるものですが、同時に、書かれた内容に心躍らせ、そして、その背景にも思いを巡らせ心打たれる、この世界に文字があって良かったと、心から喜びを感じている今日この頃です。


 

(本稿は奈良新聞連載エッセイ「暮らしの中の書」2020年7月30日掲載分)

暮らしの中の書
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