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祈りの書「龍門石窟」生きる希望生まれる

中国には、歴代の偉大な詩人が愛した美しい場所がたくさんあります。明るく広がる山水の景色、肌に触れる清らかな空気の感触、私が学生の頃、初めてここに来た時も「場所の心地よさ」に感動し、訳も分からず、「風水が良い場所ってこういうことじゃない?!」などと、同行した大学の書道研究室の方たちと騒がしくしたことを昨日のことのように思い出します。昨年、私は、当時の「旅のしおり」を引っ張り出して、再びその場所を訪ねました。


その場所は、中国河南省洛陽市から南に13kmの場所にある、中国三大仏教石窟の一つで、現在は世界遺産となっている龍門石窟です。開削は、北魏の孝文帝(471-499年)が平城から洛陽に遷都した494年と言われています。そこには、伊水を挟んで、東西に対峙した山の南北1㎞の断崖絶壁の両岸に、約400年以上をかけて造営が続けられたという無数の石窟があり、遠くから見ると、まるで蜂の巣のようです。全体の龕窟数は2100以上、造像は、10万体余りに及びます。


龍門石窟西山全体
龍門石窟西山全体

最大の仏像は、龍門石窟最大の奉先寺の盧舎那仏で、高さは約17mもあり、対岸からもよく見えます。奉先寺に至る階段を上った先に現れる、盧舎那仏のお顔は、厳かというよりは、なぜか朗らかな印象を受け、心が明るく晴々しい気持ちになるようです。ちなみに盧舎那仏のモデルは、中国史上、唯一の女帝である則天武后(624-705年)と言われ、造営にあたり、莫大な寄進をしたそうです。そして、反対に最小の仏像は、わずか2㎝で、近くで目を凝らして発見できると、嬉しい反面、執念のような思いも伝わってきて、小さな仏像が抱えた、人々の壮絶な祈りを垣間見るようです。


奉先寺盧舎那仏
奉先寺盧舎那仏


ところで、龍門石窟は、書道史上においても非常に重要で、北魏時代(386〜534年)の書道芸術の最高傑作と言われている「龍門20品」が残されています。これは、龍門石窟内に刻まれた、数千にも及ぶ造像記(仏像の傍に発願者や製作由来等を刻したもの)のうち、特に書法に秀でた20品が選ばれたもので、北魏時代の楷書体の特徴である「方筆」と呼ばれる鋭い角のある点画と力強い造形が見られます。この造形は、碑石の字を刻す刻字職人たちが考案

したものと考えられ、筆意と鑿跡が調和した独特の表現となっています。そして、その20品中、19品が「古陽洞」と呼ばれる石窟にあります。


龍門20品の「牛橛造像記(拓本部分)」
龍門20品の「牛橛造像記(拓本部分)」


「古陽洞」は、龍門石窟西山の南部に位置し、幅約7m、奥行約13m、高さ11mのドーム状の石窟で、内部の四壁及び天井に至るまで、隙間なく彫刻絵や文字が刻まれています。龍門石窟の中でも最も早くに開削されたと言われ、考文帝の遷都に際し、それを支持した貴族や将軍たちのために造られたものとして、その由来も明確で、保存状態も良く、内部のお釈迦様の出生から成仏までを表現した彫刻絵は、仏教故事を語る上での重要な役割を担い、また、当時の絵画や彫刻レベルの高さも伝えています。現在は、それらの貴重な芸術品を守るため、柵が設置されていますが、十数年前までは、中に入ることが出来、私たちは、天井を見上げ、古陽洞内に点在する意外と小さい造像記たちを探し出し、こんなところにどうやって刻んだのだろうか、としきりに感動したものです。


古陽洞内部
古陽洞内部


さて、当初、古陽洞で「龍門20品」を一日中鑑賞する予定でいた私は、中に入れないことが分かり、外からしぶとく望遠鏡で眺めても時間が余ってしまいました。そこで、私は、龍門山(西山)の対岸、唐代の大詩人、白居易(772〜846年)が晩年を過ごした香山(東山)に移動し、きっと白居易も同じ景色を見ただろうと、この場所の心地よさについて考えたりしながら、今も美しい龍門石窟を日が暮れるまで眺めていました。この場所は、元々の風光明媚な地形に加え、幾百年もかけて、人々の手によって築かれた祈りの形、それらが見てきた千数百年の歴史が、神聖な空間を作り上げているのだろうなあ、そんなことをぼんやりと思ったものです。


世界中の宗教遺跡には、たくさんの人々の祈りが込められています。祈りの尊さは時代を越えて、厳かに、強く、優しく、私たちの心に迫り、きっと穏やかな気持ちにさせてくれます。テクノロジーで作り出すことのできない、自然に備わる人間の心が、そのことを繊細に感じ取り、祈りによって「生きる希望」が生まれるのでしょう。千年前よりはるかに複雑になった世界ですが、私たちは、それぞれが、平穏無事を求めて、善なる正しい行いをして、様々な困難を乗り越えていきたいものです。


 

(本稿は奈良新聞連載エッセイ「暮らしの中の書」2020年5月14日掲載分)


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