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おはぎとぼたもちとAI ー「正解」のない領域にー

更新日:2023年4月16日

長い歴史の中で、人類の記録を残し、伝える役割を担ってきた大切な文字、はじめは、獣骨や植物、布など、時代ごとに、形を変えて、人間の暮らしに適応してきました。現在も使われている紙の発明は、文字による情報をおおいに広め、人々にたくさんの知識を伝えてきました。


私の学生時代は、インターネットが一般に普及し始めた頃で、丁度、図書のアーカイブ化が進み、調べ物があると検索システムを利用して、素早く欲しい本を探し出すことが出来ました。少し前までは、必要な本や論文に辿り着くまでに、もっと時間がかかったものだと教授や先輩に言われ、自分は便利な時代に学生をしていることを有難いと思ったものです。


 

さて、時代は急速に変化します。世の中のデジタル化は止まりません。本日は、最近話題の「ChatGPT」(AI(人工知能)によるチャット)で調べ物をしてみた話をば。


それは、『歳時記』で行事を調べていた時のことです。そこには、春のお彼岸に墓前や仏前に供える「ぼたもち」が紹介されていました。私は、「ぼたもち」が好きで、子供の頃、よく食べたものです。「ぼたもち」は、”牡丹が咲く時季に作ること”が名前の由来で、秋のお彼岸に供える「おはぎ」は、”萩の花が咲く時季に作ること”から来るもの、そして、”材料や見た目は同じ”と書かれていたのです。


私は、そこに違和感を感じました。それは別ものであるはずです。なぜなら、私は、「おはぎ」よりも、確実に「ぼたもち」の方が好きだからです。私は、もう少し詳しく知りたいと、まずはインターネットで「おはぎとぼたもちの違い」を検索してみました。そして、様々なサイトで、たくさんの記事を確認することができました。実は、この話は、なかなか根の深い話で、時代ごと、地域ごとに諸説入り乱れ、最終的には、「おはぎ」と「ぼたもち」は同じで、呼び名が違う、という結論に至ります。


 

ちなみに、私は「ぼたもち」は、てっきり、”ボタッとした見た目”が名前の由来だと思っていました。両親にも聞いたところ、「ボタッとしているから」との答えが返ってきて、非常に納得です。


(さらに、今の『歳時記』は、旧暦の行事を現代の暦に当てはめているので、季節感がずれていることが指摘できます。「ぼたもち」から「牡丹」を連想できないのは、仕方がないことかも分かりません)


ネット上に書かれたことを鵜呑みにしてはならないことは、散々言われてきましたが、実際は、本に書かれた情報であっても、都合の悪い記録は改竄されたり、新説によって覆されたりする例はいくらでもあります。そこで、私は、最新のAIなら、どう答えてくれるのだろうか、と質問してみた次第です。


さて、AIは、「もち米を”炊いて”作ったものが『おはぎ』、もち米を”蒸して”作ったものが『ぼたもち』」と答えてくれました。なるほど、確かに材料も見た目も同じだけれど食感が異なります。この部分は、ネットで深掘りしても見つかりませんでした。さすが最新のAI、感心いたしました。私は、「蒸したもち米の食感が好きだから、『ぼたもち』の方が好きだったんだ!」と納得したところです。


 

いや、待てよ、それを信じて良いものでしょうか。AIの答えは、こちらの聞き方によって変わっていきます。AIは、別の会話で、「『おはぎ』はもち米を”蒸して”作ったもので、一部の地域で、もち米を”炊いて”作ったものがある」と答えるのです。あれこれ聞いて、整理すると、結局のところ、「おはぎ」と「ぼたもち」は、微差はあれども同じものということになります。つまり、AIの最初の答えは間違いとは言い切れませんが、誤った情報と捉えることも出来ます。


かつて、インターネットの検索能力は、即ち、生きる力、と言われたことがあるように、これからは、AIリテラシーが問われる時代になるのでしょう。言葉、文字を取り巻く環境は、刻一刻と移り変わり、激動の時代の真っ只中です。


ちなみに、近所の和菓子屋さん曰く、「『おはぎ』と『ぼたもち』は同じで、季節に関わらず、『おはぎ』の名前で売っている」とのことでした。ことわざの「棚からぼたもち」が成立しないなあ。私は、「ぼたもち」のボタッとした見た目と名前の響きが好きだっただけかなあ。でも、思い出したのは、子どもの頃で、祖母が作ってくれたそれは、蒸したてもち米のモチモチ食感が美味しくて、大きくてボタッとしていたので、やっぱり「ぼたもち」という感じだったなあ。


 

そういう個人の育った環境、日常的な記憶にある情緒や感情は、正解や不正解などなく、言葉では言い表せない、五感を伴う立体的な映像のようなものです。今のところ、きっとAIに聞いても答えられない領域だろうな。いや、つまり、人間が文字として書き表すことが出来ないならば、どの記録にも残らないということです。誰も自分以外を生きることは出来ないから、今を生きている一人ひとりの見えない「心の領域」の話になるところです。あれ、「おはぎ」と「ぼたもち」の話だったっけ。


きなことあんこおはぎ
きなことあんこのおはぎ
 

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奈良新聞「暮らしの中の書」
奈良新聞「暮らしの中の書」





















(本記事は、2023年3月9日奈良新聞掲載「暮らしの中の書」より)


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