旅は毎日がハイライトのようですが、昨年の長期中国旅では、中盤、特に西安での9日間が、最大のハイライトでした。書道史上の重要な遺跡、博物館などなど目白押しです。それもそのはず、西安は、中国にとって最も華やかな時代の一つ、唐(618-907年)の都(長安)だったところです。日本においても、遣唐使の派遣により、当時繁栄を極めた大陸文化や制度が、数多く伝えられました。
西安では、少し長めの滞在となるので、アパートを借りることにしました。アパートと言っても、そこは超高層ビルの中に、オフィスや店舗が入った、巨大な複合商業施設の一部屋で、建物そのものが一つの町のようでした。中国では、一人旅そのものが珍しいらしく、何かと優遇され、到着した当初、窓のないワンルームを案内されたのですが、なぜかその日の内に、窓が大きく明るい上層階の西安の景色を見渡せる部屋に無料でアップグレードしてくれました。
さて、西安の観光は大忙し。まず訪れたのは、西安中心地のどこからでも見える堂々たる、高さ12mの城壁。そこに登り、大都会西安の町並みを見下ろしながら、佇んでいると、現地の方が、西にまっすぐ伸びる道を指差して、「晴れていると、ここからローマが見えますよ」とにこやかに教えてくれました。うっかり信じてしまいそうになるほど、道は、果てしなく、まっすぐ延々と続いているようです。実際、城壁最大の西門(安定門)はシルクロードの発着点だったそうです。
私は、「シルクロード」の響きだけで、胸が躍ります。東西の文化が融合され、世界が大きく繋がっていく、まさにこの道が、今の私たちにも続いています。実は、中国へ行く前に、奈良の薬師寺(680年、天武天皇の発願により造営開始)を参拝してまいりました。なぜなら、そこは、シルクロードの終着点と言われているからです。御本尊の台座には、ギリシャの葡萄唐草文様、ペルシャ(現イラン)の蓮華模様、インドの神像、中国の四方神が描かれ、1300年以上も前に、ヨーロッパの文化が、ギリシャからペルシャ、インド、中国を経て
薬師寺まで伝わっていたことを示しています。
ところで、今回の中国旅で最大の冷や汗をかいたのは、ここ西安でした。今や中国のデジタル化は凄まじいスピードで進められ、あまりにも「電気」に囲まれた毎日で、超高層ビルの巨大商業施設にいては、些か不安を感じるところだったのですが、案の定、滞在中のアパートが停電になりました。朝起きて、電気をつけようとしても反応がありません。
何もかも電気で動くので、何もかも動かなくなりました。その時の私の焦り様といったら…!とりあえず、窓から見える外の様子はいつも通りなので、私の部屋のブレーカーが落ちたようです。外が明るい内にと、急いでスーツケースに荷物をまとめ、いつでも移動できるように準備をして、(窓のある部屋に変えてもらえて良かった!)別棟にあるアパートの事務所に行きました。しかし、なぜかそんな日に限って誰もいません。
その日は、玄奘三蔵(602-664年)が求道の旅を終え、インドから持ち帰った経典を保管するために建てられた「大雁塔」(書道愛好家にとっては、「唐の三大家」と言われる書家、褚遂良(596-658年)の名筆「雁塔聖教序」があることでも有名、絶対外せない場所!)と大航海を経て唐に渡った空海(774-835年)が修行した青龍寺(知る人ぞ知る、西国八十八所巡礼の「0番札所」で、昨年、ようやく巡礼を達成した母へのお土産に0番札を持って帰りたい一心!)へ行く予定。
待っていても仕方ないので、毎日来られる清掃の方へメモを残して、スーツケースに鍵をかけ、念の為、ロックがかかり解除不可にならないようデジタル式のドアに消火器を挟んで、開けっ放しで、大事な荷物だけを持って、鬱々と出かけました。しかし、出かけてしまえば、思いの外、楽しく、「我ながら気楽な」、と思いつつも緊張しながらアパートに戻ると、何事もなかったかのように、電気は戻っていました。
考えてみれば旅人は孤独なものです。言葉も通じない、知らない場所で、困難を前に、為す術がないのです。シルクロードを往来した商人たち、三蔵法師や空海、電気もない頃の旅人たちは、どんな困難に立ち向かって行ったのだろうか。私の些細な困難は滑稽です。さて、教訓めいたことは何もありませんが、あっという間に、当たり前の日常は崩れてしまう。幾つもの時代の中で、絶えず入れ替わってきた、たくさんの「当たり前」を思い、私は「無事であることを喜び、次へ進まなければならない。強く、たくましく生きるのだ!」などと
旅の続きに気合を入れ直したことです。ひとは強い。何事にも、くじけまい。
(本稿は奈良新聞連載エッセイ「暮らしの中の書」2020年6月11日掲載分)
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